ペット気功 

日曜日、講師研修会を終えて天王寺まで歩く道すがらのことです。

 

私「そうそう、師範のところのネコって、週にどれくらい病院行ってますか?」
師範「いや~・・・ほとんど行ってないよ」
私「それはスゴイ。もともと野良ですか?」
師範「血統書はないけど、そこまで野良ってわけでもない。もう、十何年かな?」
師範「前には20年生きた子もいたよ」

私「ぜんぜん病院に行ってないんですか?」
師範「予防接種と避妊だけかな・・・?」
私「今時から考えたら信じられないですね~」

※イヌネコの存命と保険&動物病院とは切っても切り離せない関係にある。

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師範「・・・そういえば、太極拳の型を練っていたり、気功鍛錬しているとネコが寄って来るよ」
「遊んで欲しいとか構って欲しいとかではなく、」
「足元まとわりついて足の甲に座ろうとしたり、特に収功(気を収める)の時は走ってきたり」
「そして終わればどこかへ行く」
「公園でゆっくり型を練っていたら知らない飼い犬も寄ってきたことがある」

私「ひょっとしたら、気か何かを感じて、それを得ているのかもしれませんね」
師範「どうだろ?」
「行動だけを見ると、可能性としては否定できないね。」

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最近では「どうぶつ気功」などの言葉も耳にしますし、それなりにでも効果があるのではないかと思います。もちろん日々鍛錬の積み重ねを大事にしている師範の莫大な「気」だから、ということもあります。量が違う。

 

太極拳をすればするほど、型も練れるし気も練れる。犬も猫もそれで元気になってくれるし、自分も健康作りに役立つわけで、これは一石二鳥ですねぇ。

太極拳 ねこ12

検証などはしていませんのであくまでも仮説にしか過ぎませんが、自分の気でペットのみならず家人みんなが元気になることも可能かもしれませんね。

・・・ただし、それには鍛錬が必要ということだけは付け加えておきます(キッパリ)。

太極拳 ねこikko_20160714kenpouneko01

 

12月になりました

 

今年ももう12月です。

旧暦などに触れていると新暦の2月の節分あたりが節目と思うようになりますが、世間的・行事としてはやはり今が年末になりますね。旧暦や「二十四節気」その他、月の満ち欠けを眺めていると、また世間一般とは違う別の「流れ」といいますか、移り変わりを感じることができるようになりますよ。

12月に入っての最初の満月を過ぎてしまえば神札やしめ縄などを交換しても良いとされているところもあります。ひとつの切り替わりですからね

太極拳 とうじ170108-tazawa-sun-3

たとえば「冬至」。よく言われるカボチャを食べることばかりではありません。たとえば「日の長さ」。この日は昼(つまり陽)が一年中でもっとも短く、夜(つまり陰)がもっとも長くなる日。夏至、冬至は陰陽の極相であり、後者は陰の極まった日であります。そういう点においては「冬至」は太陽に大いに関わりがあり、その翌日が元旦(太陽の出発点)という意味合いもあります。太陽の正月ですね。なので大体冬至までには年末の参拝に行っていますが、今年はドンピシャの22日に行けるようになりました。

「古い過去」も「思い悩む未来」も置き去り、心機一転「今の自分」を主役に切り替えできる時節でもあります。
「過去の自分」の出来事や経歴を主役にしてばかりいると、老けますよ?
「未来の自分」に逃避して、希望も期待も持てないと嘆いていると老けますよ?

 

さて、例えばメキシコでは、冬至と夏至の日だけにチチェン・イッツァのピラミッドにケツァルコアトル(蛇神・アステカの農耕・文化・風の神)が浮かび上がる、なんてのもあります。太陽の光の角度を計算してピラミッドを建設したのです。明治神宮において冬至の日に表参道の正面から日の出を迎えることになります。伊勢神宮の宇治橋でもそうですね。

太極拳 たいようimg010

日本の場合ですが、「冬至」が明けての12/23は今上天皇陛下の御生誕の日でもあります。冬至を過ぎて、陽の出発点である太陽の重要な記念日でもあるこの日に数えて125代目の天皇陛下がお生まれになったわけで・・・。他国、他民族にとっては喉から手が出るほど欲しく、憎しみを覚えるほど手が届かない存在、地球規模の金持ちでも買う事の出来ない存在がこの日ノ本に在ることは大いなる幸福と言えるでしょう。

 

 

 

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太陽の象徴、または御使いであるカラス

カラスが黒いのは、太陽という大いなる光を背負うがゆえに、もっとも深き闇にいるためである

 

クリスマスなども本来的には生誕祭ではなく、陽がどんどんと大きくなっていく「明け」を祝った古代の農業祭であるという説もありますね。クリスマスツリーは依り代的な意味もあり、精霊を呼び寄せてお祓いとする的な・・・。

こういうのは大地(地球)とのつながりと申しますか、まぁ、心のアンチエイジング、精神的に長生きするには必要なことかもしれないと感じております。

 

「易」を学んでいくと「この日はコレを食べる」「あの日はソレを飾る」といったおばあちゃんの知恵袋的な段階を抜けることも可能です。何故って、勉強することで「視野」が広がるからです。単純なことです。

 

お手軽に始める方法としてお勧めなのは旧暦をはじめ、月の満ち欠け、二十四節気、季節の云々、歳時記等が記載されているカレンダーを日々使うことです。

オトナの習い事 「武道」

オトナのたしなみとしての武道という選択肢。

武術には驚くほど物理や心理、人体生理学を利用した技術体系、奥深い哲学があり、大人になってからそれらに触れてみるとまた違った見方や楽しみ方が分かるようになってきます。子どもの頃の習い事、学生時代の部活とはまた異なります。そして武術というのは「足し算」ではなく「引き算」がコンセプトなのです。

 

学校でも会社でも、場合によっては仲間内でさえも「引き算」はネガティブなものとして捉えているところが多いと思います。付け足せ、増やせ、大きくしろ・・・・・・そこに幸福があるかのように。

そしていつか、それに潰されてしまうのです。

太極拳の授業でも、あれもしなきゃこれもしなきゃで頭が大変になっている初心者も珍しくありません。教える側としては「基本の立ち方で立っているだけでいい」「へそを右、左で動かしているだけでいい」とアドバイスするのですが、ついついあれもこれもになってしまうのは自分が「何かの不足」を感じてしまっているからだと思うのです。
それはある意味「欲」なのです。

 

太極拳をはじめとした武術は、余計なものをドンドンと省いていくのが最大の目的。「力抜いて~」「肩を上げないで~」「吸うんじゃなくて吐いて~」「打とうと考えないで~」「余計なこと思わないで~」「思ったら次の瞬間忘れて~」etc・・・・・・・。いわば自分の「断捨離」です。それは肉体的な面を経て、精神的な面にたどり着きます。

捨てて捨てて・・・本当の自分「真我」に行きつくその時まで。

マインドフルネスなどでもそのあたりは基本なのですが、太極拳はそこに「立って歩く」という人間の生活動作を元にしている「動的瞑想」でもあり、日常に引き戻されやすくてちょっと難しいけれど、その分、日常に還元が多くなされます。もちろん「気」を意識的に体内で巡らせ、あるいは身体動作を使って外気と内気との交流をすることも可能です。

これをご覧いただいてお分かりの通り、女性でも男性に劣ることなく斬っていると思います。剣は筋力だけで斬るのではありません。個人的な所感をいえば、女性の方がもともと筋力に頼らない分、上達が早いかな~と。

 

ちなみに理屈だけならストローク無しに刀を巻き藁に接した状態で斬ることも不可能ではありません。

 

 

 

自分の人生って何だろう? と思っている人は多いとも思います。
自分の人生の目的の追求に戻りたいと感じる人は多いけれど実はそこに本当の自分を見出せる人は少ないと思います。(とても大事なことだけど)お金を稼ぐ「手段」のみに追われる生活で終わってしまう。振り回されてしまう。わかっているけど人生の目的が見えない混迷から逃げ出すことが出来ない。だからなおさら、その場しのぎの享楽(快楽)にお金を費やすことしかできない悪循環にハマってしまうわけです。

心ある人は、このような不全感を感じているからこそ、メリットを越える価値を得て、それを第一原理とはしない生き方をしている人への憧れが生じると思います。たとえばの話ですが「新選組」などの武士に対する強い憧憬となるのは、彼ら武士は享楽的で自分のメリットしか考えない弛緩した生き方の対極にあるわけで、「死」そのものを忘れようとする現代人の対極にあります。幕末の武士とか、あるいは戦国武将に対する熱を帯びた共感は、ある意味において心根が堕落しきっていない証拠であると思います。

「マインドフルネス」や「禅」などの普及を見てもそのあたりの不全感を解消しようという動きはあると思います。

 

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