Don’t think,move!

「感じる」ことも大事ですが、実際は感じる事すら難しいこともままあります。

分かりやすい、ツライ、しんどい、痛い・・・・太極拳や立禅などの練習中でこれらは立派で大事なシグナルですが、どうしても「ネガティブ」に感じてしまうことが多く、ほとんどの人の顔が曇ってしまいます。

 

 

ならばこそ、動け、と。考えている暇があれば、動け、と。

起きている間、人間が考えることのほとんどは「不安」と「不満」、「願望」と「期待」くらいのものしかないです。たいそうに考えているようにみえて、その実は大したことはありません。
こんな感じで、ジッと座っている時でも思考のエンジンがフル稼働しておりますので非常に疲れるのです。

そう、人間は「思考」だけで疲れるのです。

そしてその思考のほとんどは「想像の産物」でしかなく、益になるどころか、想像が想像を呼んで自縄自縛の悪循環に陥ることばかりです。

「あれがいやだ」「これが心配だ」「あれがほしい」「あれにはむかつく」「あれもしないとこれもしないと」「でもダメかな」「どうしよう?」「わたしにはできない」「無理」・・・・このような無限ループに陥ります。

思考のエンジンがオーバーヒートするのを防ぐためにも、思考の管理が必要です。
思考を止める、脳の周波数を落とす、休むといった機会を設けないと心身が病みだします。

 

 

 

太極拳でもそれなりに「考える」ことは必要ですが、実は考えて出来たことなんてあまりありません。
そのほとんどがある日ある時「ハッ」と気が付いたり、思いついたり、急にできたりすることが大半でした。

特に体の動かし方を考えても無駄です。
「ここをこうして」「足はそうして」「手はこっち」「周辺視で」「軸はこう」・・・・と同時複数の作業をこなす必要がありますが、大脳はダブルワークが大の苦手で、多大な負担がかかってしまいます。脳疲労にしかなりません。
武術の身体操作は大脳に依存しない「意識下」に落とし込む作業ともいえるのです。それは小脳や、時に大脳基底核を起動させる訓練でもあるのですが、それはまた別の機会に。

%e5%a4%aa%e6%a5%b5%e6%8b%b3400_400

動くから変化する。変化こそが美しい

 

「考える」ことは大事ですがその弊害も見過ごすことはできません。
考えずに、ボーッと何気なく打った拳が必殺の威力を持っていたり、あっさりと組技が決まったこともありました。

 

中央式太極道では「考えるな」「行動するんだ」が合言葉です。
この道においては、自分で歩けるまでは、きっと誰かが引っ張ってでも歩かせてくれるでしょう。

 

ある意味において、禅寺における「作務(さむ)」こそがメインであり、座禅こそがサブ(息抜き)であるともいえるかもしれません。肉体を動かすことで雑念を考える余地すらなくすのです。
そうであれば日常の生活こそが至上の修行であるともいえるでしょう。