牙突の人の写真が見つかる

新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に

江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年に妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。

斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。

維新後に藤田五郎と名乗った斎藤を巡っては、西南戦争で政府側に従軍し、警視庁にも勤務したことなどを示す恩給関係の史料が国立公文書館に保管されていたことが昨年判明している。

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(2016年07月15日 06時11分 更新)

 

 

http://www.sanyonews.jp/article/382010/1/

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これはすごいですね~。

イケメンの土方歳三や漢気あふれる近藤勇の写真はありますが、生き残り組のわりに謎が多い斉藤一の写真が見つかるなんて、いや本当に凄いです。

 

斎藤一

斎藤 一(さいとう はじめ、1844年2月18日 – 1915年(大正4年)9月28日)は、日本の武士(新選組隊士)、警察官。階級は警部。勲等は勲七等青色桐葉章。

幕末期に新選組で副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務める。一時期御陵衛士に入隊。戊辰戦争では旧幕府軍に従い新政府軍と戦う。明治維新後警視庁の警察官となり、西南戦争では警視隊に所属して西郷隆盛軍と戦う。

退職後、東京高等師範学校(東京教育大学を経た、現在の筑波大学)の守衛、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛を務める。出自、経歴は不明な点も多い。
wiki-斎藤一-より引用

 

以前の大河ドラマ「新選組!」で斉藤一を演じたのはオタギリジョーでしたが、あながちハズレでもありませんね。

 

近藤勇、永倉新八、沖田総司、服部武雄(個人的には推します)に並び、新選組でもトップクラスの強さなのは有名です。流儀は聖徳太子流や溝口派一刀流、無外流ともいわれており、警察で剣術指南をしても現役警察官が手も足も出なかったとか、晩年、木に吊るした空き缶を杖で貫いたとか、生涯を通して逸話には事欠きません。もちろん、あの伝説の「人斬り抜刀斎」とも何度も渡り合ったことも有名ですねwww

池田屋騒動、坂本龍馬が殺害された報復に来た陸奥宗光達を撃退、戊辰戦争でも激戦の会津で戦い抜き、西南戦争においても田原坂で武功を上げています。

 

「どうもこの真剣の斬り合いというものは、敵がこう斬り込んで来たら、それをこう払っておいて、そのすきにこう斬り込んで行くなどという事は出来るものでなく、夢中になって斬り合うのです。この夜も、私が無茶苦茶に暴れていると、敵の誰かが、そ奴は何か着てるぞ、斬らずに、突け突け!といっているのが、耳に入ったので、ようし突いて来るなら俺もこうしてやると決心した位のものでした」

奥さんは会津家の家老の娘・高木時尾。大河ドラマ「八重の桜」の主人公である山本八重の親友。

晩年は長年の深酒が原因で胃潰瘍を患い、1915年9月15日に逝去。享年72歳。床の間で正座し膝の上に両手を置き、息を引き取ったといわれています。ちなみに同年1月、同じく新選組の永倉新八も亡くなっています。

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愛刀は池田鬼神丸国重の作と言われています。

「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」