無別事 ~べつじなし~

「別事無し」

 

格別変わったこともない

別に取り立てていうほどのこともない

 

という意味。

無事とほぼ同じ。

 

さらに。

禅語に言うところの
「悟了同未悟」(ごりょうどうみご)
「悟り了って未だ悟らざるに同じ」

 

修行に修行を重ねて、悟りに悟りぬいた高い境涯というものは何の変哲もない「ただの人」同然だという意味。

仏道でもなんでも良いが、修行を貫き神変不可思議の霊力を身に着け、金色燦然とした超越した存在になろうと期待し憧れた境涯。悟り了ってみれば別に何の変哲もない「ただの人」であった。

 

禅の修行をやったからといってことさらに身構えたり、茶の修行を30年やったからといって乙にわびすましたり、この道に打ち込んでウン十年と掲げてみたりする間はまだ本物ではない。

迷悟両忘。いささかの悟り臭さもなくなって、初めて本物である、と。

 

これこそが「別事無し」の境涯である。

 

 

 

 

・・・・・少々お堅いお話でした。

 

世間では、悟る、ある境涯に至る、より精神的に高次に登る・・・ことを求め、または求められておりますが、果たしてそれに至った「後のこと」は考えているのでしょうか。

また、悟ったから、至ったからといってそれが自動的に継続するのか?何か特別な存在になるのか?

 

悟りたい、至りたい。そういう言葉・想いが出るうちは、それは「欲」を満たすことと似ています。
「悟ってない」という不足を感じるから「悟りたい」のです。欲求は内から駆り立てるように湧きあがり、心が休まることはありません。しかし、それがいったん満たされると、それまでの渇望が嘘のように気抜けした心持になります。そしてまた新たな欲求に走らされることになる。その繰り返し。

 

 

 

それだけが目的ではありますまい。
世の中はそれでもまだ続いていくのです。

 

 

「釈迦、弥陀も今も修行の真っ最中」