火の鳥 補足

「火の鳥」なんですが、基本は原作を読むべきです。
アニメ版は尺の都合か何かで割愛しすぎてものすごく薄っぺらい感じになっています。

 

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十年くらい前にNHKでも「火の鳥」が各篇をアニメ化して放映していました。
まぁそれはそれでよかったのですが・・・。

特に「未来篇」において、「火の鳥」でも屈指の名場面であるナメクジ文明の話がないのです。「ナメクジが進化して文明を築くも、人間と同じように戦争を起こして滅び、最後に生き残ったナメクジとマサトが会話するシーン」です。
※マサトというのは、その「罪と罰」のため、人類滅亡後も火の鳥に与えられた「永遠の命」によって生き永らえさせられ、ついには神的な存在になる人間。

「あわれな生き物よ。おまえはなぜそんなに生きたいのだ?たかがナメクジのくせに……」
「た……たかがナメクジですって。ひどいことをおっしゃるな。あなたがだれだかは知らないが、私だって、命はおしい。」
「長生きしてなにになるというのだ?なぜ命をそんなにおしむのだ?」
「そりゃあ、死んじまえばなにもかもパーになるからですよ。」
「私はおまえの先祖の下等なナメクジを知っているがお前のように未練がましくはなかったし、グチもいわずに死んでいった。恥ずかしくないのかね。」
「イヤダ、イヤダ、わたしゃそんな下等動物じゃない!!死ぬのがこわいんだ。助けてくれぇ。」
「助けたいが、私にはできない。」

「なぜ、私たちの先祖は、かしこくなろうと思ったのでしょうな。もとのままの下等動物でいれば、もっとらくに生きられ……死ねたろうに……進化したおかげで……」

「…………死んだ。」

 

 

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最後に残った水溜りにすがりつき、今まさに迫りくる「死の恐怖」に怯えるナメクジ。

抗おうにも為す総べなく、水溜りは次第に蒸発していく。
干からびたナメクジを見て、マサトがそっけなくただ一言「死んだ」
「死」という唐突さ。
この素気なさとか、無常観とか、そういうモノがアニメ版「火の鳥」にはほとんど表現できていません。

 

 

 

逆に、様々な科学的アプローチにより「死」からもっとも遠くなった存在が語る「生」とは?
※個人の「死」というものを「記憶情報と人格の揮発」と捉えている世界。
また彼は人為的に作出された存在でもあり、脳はチップに置き換えられている。

 

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『銃夢 LastOrder』より

 

この後も台詞は続きますが、実は明確な答えがあるようでありません。

「火の鳥」でもそうなんですが、描き方として「死」よりも「生」の方がやや曖昧な感じがするのです。
そういう点ではよく言われる「命の尊さを描いている」というのは違うと思うのです。手塚治虫はもっと違う見方をしていたのではないかと。
「命の尊さ」というのも、私としては「他人事」のような感じがしてしっくりきません。「自分が(さも当たり前のように)生きている」ことが大前提にありすぎるような気がして。

「ポックリ」なんてのは、他人事の典型ではないかと思います。

 

上記のナメクジが死ぬところをもう一度ご覧いただくと良いかと。

 

 

生きていながら「生」を実感することの難しさ、ということでひとまず締めくくっておきます。

大地に立っていながら地球(という球体)を感得することの難しさと似たような感じでしょうかね。