拝殿からの眺め 2

前回の続きです。

かくして神職さんから作法らしい作法の手ほどきを受けることができましたが、とても良い経験でした。

神道(古神道)には教義がありませんし、神社の参拝作法は必ずしも守らねばならないモノ、実行しなければならないモノではないです。神職ならいざしらず、一般人では特に必要ではないでしょう。

・・・ないでしょうが、あまりに見苦しい振る舞いは神前に相応しくないとは思います。
せめて手水の使い方くらいは知っておきたいところです。

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手水舎では「洗う」のではなく「清める」

 

私は正式参拝における「玉串拝礼」をきっちりやりたかったので一夜漬けして臨みました。

「玉串」は一人で、しかも人前で行うので緊張感とオロオロ感が満載になりがちです。私も回数を重ねてようやく多少の余裕が出てきました。作法にも気が回るようになってきたというコトですかね(笑)。
作法は大事ですが、肝心要である「感謝の心を奉げる」のが疎かになっては本末転倒。

作法が出来たからといってそれで「出来ている」と勘違いするのは避けねばなりません。
大事なのは中身ですね。

太極拳も型が出来ていると言って安心してはいけません。中身を充実させるために鍛錬が必要です。

 

また、神職さんが付け加えて言うには、「装束」を着ている時はどうしても型通りにやりにくい時、やれない時があるとのこと。もちろん繁忙期の祈祷などでも同様。
楷書に対する草書のようなものですね。

手抜きではありませんよ、と(笑)。

 

このあたり、太極拳に通じるものがあるので、おっしゃることはよく理解できます。

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あちこちの神社巡り、御朱印集めを経て氏神参拝に至り、各月の正式参拝。
パワーを頂くのでもない、何を願うのでもない、今の感謝を奉るのみです。終った過去を憂い、まだ来てもいない未来を不安がることは楽々ですが、「今」のありがたみ・感謝を感じる事すら難しい。
「正神は言挙げせず」の通り、その正解は教えてくれません。自分で見つけるのが修行ですね。

 

太極拳の練習でも、「今、ここ」に集中することができればもっと良いんでしょうけどね。