初詣

年末の特別自主練もおわり、2017年を迎えようとしています。

もっとも、暦の上では「冬至~天皇誕生日」を境にすでに「切り替わり」が始まっております。

 

今となっては『寝正月』なんてものは贅沢なものになってしまってますねぇ。
暇さえあれば家でグータラしていたい・・・・思わず本音がでてしまいましたが(笑)。

 

正月といえば初詣ですが、私は氏神さまに昇殿参拝なので、その時ばかりはグータラせずに身も心も引き締めて詣でねばなりません。

 

神社仏閣では、やはり気になってしまうのが「無作法」な人。他人事なのでほっておけばよいのですけど、手水の使い方もおぼつかない人や賽銭を勢いよくぶちまける人もまだまだいますね。

犬を連れてくる莫迦も多いです。
しかし、あれは犬が悪いわけではなく、

飼い主が、犬を犬と見ず、人間の子供と混同するという無分別と客観性の無さ。
「我良し」の極みでもある愛玩という名の依存。犬は決して逆らいませんから。
「犬は禁止」とあるにも関わらず公序のなし崩し的な態度。
強制力のない禁忌を、自我優先によって犯すという、自らを律する心の弱さの露呈。

それらが人間の「自我」の発露に他ならないのであり、その自我の垂れ流し状態を「穢れ」とするからではないでしょうか。あとは衛生面ですね。掃除の手間を増やすのは迷惑行為でしょう。

 

いわゆる犬とか猫とかの「畜生」を連れ込むと神様が怒らなくても眷属や神使が怒るという話も聞きますが、どうなんでしょうね。ただ、犬猫がキライなのではなく、「それらを連れ込む人間に怒る」ようです。
仮にそういうことがあったとして、飼い主が怪我をするのは自業自得ですが、犬がひどい目に遭うのは可哀想ですね。

 

 

さて、古神道ではきっちりと決まりきった作法(絶対にそうしなければならない)というのは無いようなのですが、そこはやはり胸に手を当てて考えねばなりません。神様への最低限の礼儀、ですね。
そこに強制力はありません。法律にもあたりません。そういう意味でも「犬を連れて入って良いものか?」胸に手を当てて考えてみる必要があると思います。

鳥居を一歩くぐればそこはもう「神域」です。そこでどう立ち居ふるまうか?
まぁ、ちょっとでもお行儀よくして叶えてもらいたい、なんて欲得尽くな考えも無きにしも非ず(笑)。

ただ、言葉に霊力が宿る「言霊」などと同様に「形霊(かただま)」というのもありますので、形から入るというのもそう馬鹿にはできないのです。

そして大事なのが「祓い」です。手水も鈴も柏手も「禊、祓い」の要素が強く、身も心も祓って祓って・・・心身ともに清めた状態にするのが肝要です。決して「呼び出しベル」ではありません

 

手水の使い方や礼の仕方などはちょっと調べればすぐわかりますので、新年の初詣はちょっと形から入ってみてはどうでしょうか。

心静かに1人で行くのがおすすめです。