人生二巡目  人生を美学する

還暦を迎える。それは易の観点からいうと「人生の二巡目」。
※参考記事を下記に掲載

 

その二巡目を、幼児に還ったまま、終えるか。

それともまた一から「心」の成長を遂げるか。

 

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多くは語りませんが、この頃は残念な高齢者が増えました。

 

社会の公序良俗を無視し、自分の思うままに行動し、思い通りにいかなければ喚く。
過去の経験という残骸を寄せ集め、砂山のごとくプライドを盛り上げる。

 

 

 

還暦は人間としての、ひとつの分岐点でもあります。
「幼児還り」をしたままであれば、ある意味、楽だと思います。
社会も、他人のことも慮る必要はない。私は十分に貢献した。
今度はその恩恵に依存する番だ。

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第二巡目の人生として「心の修行」を心がけるならば、それは再び「いばらの道」です。
時には肉体労働をする必要もあるでしょう。

人間、社会、この世、あの世・・・はては宇宙etc。自問自答は繰り返されます。
成長をした先にゴールはありません。
そしてゴールは見えません。

しかし、それは人生を美学することだと思います。

 

 

 

還暦以降、人間、何が違ってくるかと言えば、顔です。相貌です。

美醜ではありません。

 

私のふと思った感覚からいえば、

パーツが間延びする。
サルっぽくなる。
異常にしわが深い。
とにかく、変。

目がガラス玉みたいな人もいますね。
小さいガラス玉をはめ込んだような・・・・。
幼児的な純粋さもありながら、ドロッドロの汚濁も兼ね備える、
カオス中のカオス。私は気持ち悪くてたまりません。

 

還暦以降は、その人の心の在り様が顔に出ると言います。

 

おそらく「素直」であることが、それについてはまさに3歳児の素直さこそが大事と思います。

 

 

 

以下、2015/03/30の記事です。
http://258quan.blogspot.jp/2015/03/blog-post_30.html

 

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還暦(かんれき)。

十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる

甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。

阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。

還暦を迎えるということは、

一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。

もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。

そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。
少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。

時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。

太極拳と同じです。先の先の先・・・。

「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。

「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。

「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。

一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。

生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。

太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。

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