オトナの習い事 「武道」

オトナのたしなみとしての武道という選択肢。

武術には驚くほど物理や心理、人体生理学を利用した技術体系、奥深い哲学があり、大人になってからそれらに触れてみるとまた違った見方や楽しみ方が分かるようになってきます。子どもの頃の習い事、学生時代の部活とはまた異なります。そして武術というのは「足し算」ではなく「引き算」がコンセプトなのです。

 

学校でも会社でも、場合によっては仲間内でさえも「引き算」はネガティブなものとして捉えているところが多いと思います。付け足せ、増やせ、大きくしろ・・・・・・そこに幸福があるかのように。

そしていつか、それに潰されてしまうのです。

太極拳の授業でも、あれもしなきゃこれもしなきゃで頭が大変になっている初心者も珍しくありません。教える側としては「基本の立ち方で立っているだけでいい」「へそを右、左で動かしているだけでいい」とアドバイスするのですが、ついついあれもこれもになってしまうのは自分が「何かの不足」を感じてしまっているからだと思うのです。
それはある意味「欲」なのです。

 

太極拳をはじめとした武術は、余計なものをドンドンと省いていくのが最大の目的。「力抜いて~」「肩を上げないで~」「吸うんじゃなくて吐いて~」「打とうと考えないで~」「余計なこと思わないで~」「思ったら次の瞬間忘れて~」etc・・・・・・・。いわば自分の「断捨離」です。それは肉体的な面を経て、精神的な面にたどり着きます。

捨てて捨てて・・・本当の自分「真我」に行きつくその時まで。

マインドフルネスなどでもそのあたりは基本なのですが、太極拳はそこに「立って歩く」という人間の生活動作を元にしている「動的瞑想」でもあり、日常に引き戻されやすくてちょっと難しいけれど、その分、日常に還元が多くなされます。もちろん「気」を意識的に体内で巡らせ、あるいは身体動作を使って外気と内気との交流をすることも可能です。

これをご覧いただいてお分かりの通り、女性でも男性に劣ることなく斬っていると思います。剣は筋力だけで斬るのではありません。個人的な所感をいえば、女性の方がもともと筋力に頼らない分、上達が早いかな~と。

 

ちなみに理屈だけならストローク無しに刀を巻き藁に接した状態で斬ることも不可能ではありません。

 

 

 

自分の人生って何だろう? と思っている人は多いとも思います。
自分の人生の目的の追求に戻りたいと感じる人は多いけれど実はそこに本当の自分を見出せる人は少ないと思います。(とても大事なことだけど)お金を稼ぐ「手段」のみに追われる生活で終わってしまう。振り回されてしまう。わかっているけど人生の目的が見えない混迷から逃げ出すことが出来ない。だからなおさら、その場しのぎの享楽(快楽)にお金を費やすことしかできない悪循環にハマってしまうわけです。

心ある人は、このような不全感を感じているからこそ、メリットを越える価値を得て、それを第一原理とはしない生き方をしている人への憧れが生じると思います。たとえばの話ですが「新選組」などの武士に対する強い憧憬となるのは、彼ら武士は享楽的で自分のメリットしか考えない弛緩した生き方の対極にあるわけで、「死」そのものを忘れようとする現代人の対極にあります。幕末の武士とか、あるいは戦国武将に対する熱を帯びた共感は、ある意味において心根が堕落しきっていない証拠であると思います。

「マインドフルネス」や「禅」などの普及を見てもそのあたりの不全感を解消しようという動きはあると思います。