あけましておめでとうございます

遅れながら新年あけましておめでとうございます。

2017年も中央式太極道をよろしくお願い申し上げます。

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夫れ大塊は、我を乗するに形を以てし、我を労するに生を以てし、我を佚にするに老を以てし、我を息わしむるに死を以てす。故に吾が生を善しとする者は、乃ち吾が死を善しとする所以なり』(「荘子」太宗師篇)
【天地は、私を大地に乗せるために肉体を与え、私を働かせるために生命を与え、私が永遠に働けぬよう老いを与え、私を安息にするよう死を与える。すなわち、生きることを大切にするということは、死を大切にするということである。】

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私事ながら年末年始はずっと仕事で、もはや正月感はありません(笑)。とはいえ、月の満ち欠けや暦、節気の上では理解しているので世間一般的な感覚とはまた別に正月感を味わっております。

ようやく本日休みをいただき、講習会の会場予約に行ってから氏神さまに初詣をして参りました。

正装であるいつものスーツは変わりませんが、今日は寒いし新年初回ということで、いただいたばかりのロングコートをチョイス。奉献酒は伊勢丹で買ってきてもらった、ちょっといいモノです(もちろんささやかな予算内での話)。

いつもにまして拝殿に上がった時に感じる空間の静謐さが素晴らしい。

ちょっと緊張してるのか、それとも作法の見栄を張ろうとしているのか、玉串の時の手元と所作がいつまで経ってもおぼつきません。受け取ってから神前にどういう姿勢で移動するとか、ここはまだ勉強不足ですね。

あとは別のお寺にも立ち寄ってお参り。ここでは毎年交通安全のお守りを頂いてます。

小正月までには無理ですが、追々、崇敬神社や高野山にも参拝にいく予定です。

 

 

さて、今年は酉年ですね。
だいたい酉というと鶏を指します。天岩戸におけるトコヨノナガナキドリに端を発する伊勢神宮の神使でもあります。

鳥の形象である太極拳や形意拳の型は多いです。
寒鶏歩、金鶏独立、白鶴亮翅、鶏形、燕形、熊鷹形、金鶏展翅、大鵬展翅・・・。

 

酉は金気の正位として、金気は五気のなかでもっとも堅固で「乾・天・剛・円」を象徴します。
また方位としては
西方であり、9月(旧暦8月)であり、午後5時~7時であり、仲秋であり・・・。

「酉」の本来の意味である植物の生長にかかわる意味としては、成熟と縮退です。

2017年はなかなか大変な年になりそうです。

 

また「酉」=鶏=「恐竜」でもあります。

現生の爬虫類よりはよほど鳥の方が恐竜に近い、あるいは恐竜の直系の子孫。はたまた姿を変えた恐竜そのものであるという説も珍しくありません。

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もちろんその最たるものは鶏をはじめとしたヤケイ類ですが、たとえば可愛らしいインコなどでも、「ダッシュ噛み」(小型インコであるコザクラなどがやるアレ。いきなり走って噛んでくる)などを見ていると、「ヴェロキラプトル」を彷彿とさせます。

 

また、鳥は気嚢(きのう)という特殊な呼吸器官がありますが、これは恐竜の一部(獣脚類)にもあることがわかっています。哺乳類よりも効率の良い呼吸システムで、吸っても吐いても酸素が取り入れられます。

十二支にはトカゲはなく、ヘビはまた別の形象です。辰には「竜」の意図が含まれないわけではありませんが、どちらかといえば実態がないモノです。酉が恐竜の直系の子孫、またはそのものとして物理的な、あるいは生物的な「本能的な、恐竜のどう猛さ」の暗示であるならば、テロや紛争などが多いことも考えられます。

 

恐竜は、内骨格生物としての利点である身体の大きさを極端に大きくすることで環境変化に対応しようとした生物とした見方もあります。ヒトほど脳を重要視しておらず、おそらく感情と短期的記憶(本能行動と学習行動)がほとんどではないかと考えます。脳自体は大きければ良いというモノではなく、器官としては異常なレベルで燃費が悪いです。脳を大きくしたために運動能力やバランスは悪く、また転倒時のダメージを受けやすいです。また「想像力」ゆえのストレスや脳疲労などもあります。

 

さて、話を脇道にそらすといたしますか。

人間としての、日本人としての資質が問われる年になるかもしれません。
生きることも死ぬことも、宇宙規模でみれば小さなこと。
過去は寸分も変えられず、約束された未来はなく、ただ今があるのみ。

 

「火の鳥 鳳凰篇」

彫り物師・茜丸はもう人間に生まれ変わることはないと言われますが、一方で我王はずっとずっと人間として未来に過去に転生を繰り返しているのです。
時に醜い顔で、時に腕を失い、時に愛する人を失い、それは時の果てまで、犯した罪が消えるまで続くと・・・。

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こちらは旧バージョン。

こちらは人工衛星は出てきません。

 

桜の花びらが舞う中で佇む我王。人殺しも辞さない盗賊としての面影はありません。花びらとともに一匹のテントウムシが肩に止まり、それを見て我王は涙を流します。
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取り返しのつかないことをしてしまうという哀しさ。変わらない、わからない、知ることもできない苦しみ。このあたりは「宇宙篇」なども観てみるとより深くなるんですけどね。

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また全然別の場面ですが、ナメクジが進化した時代があったのです。
けっきょく、滅亡しました。

 

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『なぜ、私たちの先祖は、かしこくなろうと思ったのでしょうな。 もとのままの下等動物でいれば、もっとらくに生きられ・・死ねたろう. に・・進化したおかげで・・』(手塚治虫『火の鳥』未来編より)

 

 

 

また、酉年ということで、手塚治虫の隠れた傑作「鳥人体系」を一読してみると面白いと思います。